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| 1999年は、対話型ロボットが日本人に大きなインパクトを与えた年と言えよう。ソニーのAIBOが大ヒット商品となり、また、アメリカで売り出されたファービー人形が日本にも輸入され、人気を集めたことは、周知の通りであろう。 AIBOやファービーの商業的成功を見る限り、こうした対話型ロボットは、今後もますます多くのものが開発され、普及していくと考えられる。とくに子供の玩具としての利用は拡大するであろう。子供の遊びの中でも、対話型ロボットの交流はもっとも人気のあるものになるかもしれない。そうであるとすれば、対話型ロボットが、子供に対してどのような影響を及ぼすかという問題は重要であろう。 従来から、テレビゲームやインターネットが子供の発達に及ぼす影響については議論が盛んである。青少年が凶悪犯罪を起こすたびに、この問題はジャーナリズムをにぎわしてきた。焦点となるのはいつも仮想現実のことである。テレビゲームやインターネットは子供に仮想現実を提供するものであり、その仮想現実世界が悪影響を及ぼすのではないかという懸念は根強く、世間に広く浸透している[1][2]。対話型ロボットもまた、仮想現実世界を提供するものであり、同様の悪影響論が可能であるし、実際にこの問題が注目されるときはいずれ来るであろう。 悪影響論として、少なくとも当面、もっとも出てきそうなのは、子供の社会的発達に関する懸念である。対話型ロボットは、子供の社会的発達を阻害し、社会的不適応を招くのではないかという議論である。テレビゲームやインターネットについても、これらが提供する仮想現実的な人間関係が子供の社会的発達を阻害するのではないかという主張は、悪影響論の中でももっとも盛んであったものである。後述するように、これと同じロジックが対話型ロボットの場合にも通用する場合があると考えられる。 ロボット関係者にとって、この悪影響論が本当に正しいかどうかは興味のあるところであろう。そこで、本論文では、実際に対話型ロボットが子供の社会的発達を阻害し、社会的不適応を招くと考えられるかどうかを論じる。もちろん、こうした議論は、実証研究の知見に基づくべきものであるが、当然のことながら、対話型ロボットの影響を直接に検討した研究は、現時点ではほとんどない。しかし、テレビゲーム、インターネットなどの影響については、少ないながらも、ある程度の研究があるので、本論文では、これを参照しながら、対話型ロボットの影響を推測することにする。 本論文は、次のような構成となっている。まず、テレビゲームに関する悪影響論と、それについての研究知見に触れ、続いて、インターネットについても同様の記述を行う。そして、それらに基づいて、対話型ロボットの悪影響について論じる。最後に、対話型ロボットに関する今後の課題を述べる。 |
1.テレビゲーム 1.1 悪影響論の実際 玩具は、子供の知能や創造性を育み、身体的機能や情意的機能を健全に伸ばすとされる一方で[3]、それは、親や他人との人間関係を絶つものであることも指摘されてきた[4]。しかし、テレビゲームは、これまでの玩具の中で、この問題が格段に厳しく懸念されてきたものと言える。 具体的には、テレビゲームに熱中する子どもは、社会的不適応に陥いるのではないか、例えば、他人の性格や能力を的確に捉えられない、他人の考えや気持ちを正しく理解できない、他人とうまく付き合えない、人前に出て行けずに引きこもる、などの状態に陥ってしまうのではないかという懸念である。 こうした懸念は、さまざまな形で出されてきたが、そこに共通するロジックは次のようなものと考えられる。すなわち、「人間は、一定の社会的技能や知識によって、他人との間で円滑で適応的な人間関係を築いている。そして、こうした技能や知識は、人間が成長する過程の中で、他人と相互作用し、そこで直面していく複雑で困難な問題を解決していく中で学習されていく。しかし、テレビゲームをする子供は、現実の他人とは付き合わずに、より単純で思い通りにしやすいテレビゲームの登場人物と付き合う。そのため、こうした子どもは、複雑で困難な問題に直面せず、社会的技能や知識を身につける機会を失ってしまう。また、テレビゲーム遊びをする子どもは、登場人物と接することに慣れてしまい、より複雑で煩わしい現実の他人と付き合おうとする意欲さえも持たなくなると考えられる。」というものである。 このロジックは、尤もらしく見えるものであり、また、そうであるからこそ、この問題が注目されてきたと言える。しかし、実証はどうであろうか。 1.2 実証研究の知見 これまでのところ、テレビゲームと社会的不適応の問題を扱った研究は多くないが、それでも、アメリカや日本で10個以上の調査研究が発表されてきた[5]。これらの研究の知見をまとめれば、「テレビゲームで遊ぶ子どもほど、社会的不適応の度合いが高い」という相関関係は見られる場合はあるが、それが「子どもがテレビゲームで遊ぶことによって、社会的不適応の度合いが強まる」という、悪影響論に一致した因果関係によるものとは考えにくく、「もともと社会的不適応の度合いが強い子どもが、テレビゲームで遊ぶようになる」という、悪影響論とは逆方向の因果関係によるものと考えられる、ということになる[6]。 テレビゲームに没頭している子供に、社会的不適応の子供が多いように見えることがあるかもしれない。実際に、それが事実であることもあるかもしれないが、それは、テレビゲームによって、社会的発達が阻害され、社会的不適応が生じたことによるものであるとは考えにくいのである。 このように、研究知見を吟味する限り、テレビゲームが社会的不適応を招くという根拠はなく、そうした悪影響論が正しいとは言えない。 1.3 心理臨床での利用 最近では、テレビゲームはむしろ、心理臨床のツールとして有効であるとされ、社会的不適応の子供とくに不登校の子供の適応を促すために利用されている[7]。不登校で児童相談所や教育相談所などを訪れる子供は、強い対人不安や恐怖を感じており、相談員がカウンセリングを施そうとしても、相談員と子供が直接に対面した状況では、子供に心を開かせたり、十分な話をさせることが難しい場合がある。そうしたとき、子供とテレビゲームをしたり、あるいは、それを話題することによって、カウンセリングをうまく進められることがある。子供は直接に相談員に対する場合には緊張を感じても、テレビゲームに対してはそれを感じない。そこで、これを子供と相談員の間に置いてクッションとし、それを利用してカウンセリングを進めているのである。 こうしたテレビゲームの心理臨床的な効果を検討した実証研究はほとんど見られず、現在のところ、その効果があるとは結論できない。しかし、テレビゲームが実際に心理臨床の専門家によって広く利用されているという事実は、世間に浸透している悪影響論が単純に正しいとは言えないことを示唆しているように思われる。 2.インターネット 2.1 悪影響論の実際 インターネットはもともと、人間と人間のコミュニケーションを容易にし、それを充実させる技術として発展してきたものであろう。しかし、最近は、皮肉なことに、それがむしろ良質な人間関係を阻害するのではないかとする悪影響論が出されている。 インターネットが社会的不適応を招くというロジックは、テレビゲームの場合と同様に、インターネットによって現実の生々しい他人との付き合いが阻害されるという考え方から生まれている。現実の他人との付き合いでは、しばしば困難で煩わしい問題に直面する。それに対し、インターネットの世界では、ユーザーは、匿名性の確保が可能なので、人間関係によって生じる社会的評価や責任を気にする必要はない。また、そこで他人から受けるものは、大部分が言語情報であり、刺激が弱く、威圧感や恐怖感を持たされることはない。さらに、人間関係が煩わしいときには、いつでもそれを中断できる。こうした希薄な人間関係にいったん慣れてしまうと、より濃厚な現実の人間関係に立ち向おうとする意欲が持てなくなり、また、そこで学習すべき社会的技能や知識を身につけられなくなると考えられる。 インターネットの中でとくに問題と考えられているのは、チャットあるいはMUD(MultiUser Dungeon)と呼ばれるものである。チャットとは、インターネットを介して、他のユーザーとリアルタイムで会話をするものである。MUDもまた、そうしたリアルタイムの会話を楽しむものであるが、相手のユーザーと何らかの仮想的な生活空間を共有している点がチャットと異なっている。個人差は大きいが、これにハマる人は少なくない。そうした人がインターネットに費やす時間は極端に長く、それは深刻な問題を生じさせるのではないかと考えられている[8]。 2.2 実証研究の知見 テレビゲーム悪影響論についての研究も少ないが、インターネットについてはさらに少ない。これは、インターネットの普及がテレビゲームのそれよりも新しいからかもしれない。いずれにしても、インターネットについては、研究が全体として少ないにもかかわらず、悪影響論を支持する有力な研究がすでに出されている。これは、テレビゲームの場合と異なっている。 カーネギーメロン大学のロバート・クラウトらのグループは、ピッツバーグの8つの地域から集めた73世帯169名を対象として調査研究を行った[9]。それぞれの世帯には無償でコンピュータとソフトウェアを配布され、インターネットにも無料でアクセスできるように整備された。研究期間は1年あるいは2年であり、この間、対象者のインターネット使用量は自動的に記録された。また、対象者は、研究期間の前後の2回にわたり、人間関係や社会的適応について調査された。このデータを分析した結果、インターネット使用によって、家族とコミュニケーションを持つ時間が減ること、日常的に付き合う友人の数が減ることが示され、さらに、孤独感が高まること、抑うつが強まることが明らかになった。これは、テレビゲーム悪影響論を支持する結果と言える。 この研究の反響は大きく、その結果は、アメリカではCNNやニューヨークタイムスなど、日本でも産経新聞などのジャーナリズムで盛んに報道された。 なお、この研究は、対象者を子供に限定したものではない。しかし、対象者のほぼ30%が10代であったこと、また、若年層のほうが多くの場合メディアの影響を受けやすいことを考えると、この結果は、子供にも当てはまるものとして捉えてよいかもしれない。 2.3 心理臨床での利用 テレビゲームを人間関係のクッションとしながらカウンセリングを進める手法は、実際の心理臨床で現実に使われている。インターネットについては、少なくとも現在のところ、そうした手法は一般的ではない。しかし、その可能性を示す研究は出されている。 先述したように、MUDは一般的には人々の社会的不適応を招く可能性がある。しかし、もともと現実の人間関係に適応していない人、例えば、シャイネス傾向者(人の前にリラックスして出たり、人と話したりできない人)にとっては、これはむしろ、その社会性を促すものとして活用できるのではないかと考えられる。 第1に、MUDは、シャイネス傾向者にとっては、希薄なものとはいえ、それでも人間関係を保てる貴重な場である。そこでの相互作用を通して、社会性を高められるかもしれない。少なくとも、いきなり現実場面で訓練するよりも、無理がないように見える。 第2に、伝統的な心理療法の1つである心理劇を援用して、シャイネス傾向者を社交的にふるまわせ、対人場面でうまく活動する自信やコツなどを得させることによって、その社会性を高めることが可能に見える。しかし、シャイネス傾向者にとって、人前で演技をすることは耐えがたいことである。MUDでは匿名性が保証されており、現実の自分自身について相手に知られる心配はないので、恥ずかしさを感じることは少なく、そうした人にとっても、効果が期待できるかもしれない。 実際に、お茶の水女子大学の研究グループは、シャイネス傾向者がMUDの中で社交的に行動することによって、現実場面での社会性が高まることを確認し、MUDがシャイネス傾向者の社会性を訓練するツールとして可能性があることを明らかにした[10]。 ただし、この研究は、子供に焦点を当てたものではなく、そこでは大学生の被験者だけが使われている。また、これは、被験者にMUDの中で社交的に行動することを強制したものであり、通常の自然なMUDの使い方とは異なっている。それゆえ、この実験でMUDのポジティブな効果が得られたとは言っても、MUDが社会的不適応を招いているとするクラウトらの知見を打ち消すものとは考えにくい。MUDには使い方によっては社会性訓練ツールとして活用できるが、通常の使い方では、社会的発達を阻害する惧れがあるということであろう。 3.ロボット テレビゲームもインターネットも子供に仮想現実的な人間関係を提供するものである。このことが、これらが子供の社会的発達を阻害するのではないかとする悪影響論を生み出してきたと言える。子供は、難しくも煩わしくもない仮想現実的な人間関係が与えられると、それを専ら好んでしまい、より複雑な現実の人間関係に対応する技能や知識を学べず、また、そうした人間関係に立ち向かおうとする意欲も失ってしまうというものである。 対話型ロボットも、仮想現実的な人間関係を提供しうるものである。実際にファービーはかなり高度な会話が可能であり、現実の人間と相互交流している感じを抱かせるものであろう。ファービーの外見は人間らしくないが、テレビゲームの登場人物やインターネットのアバターも人間らしくない場合があり、それでも仮想現実的な人間関係を与えるものと一般に捉えられている。現実の人間と相互交流している感じを持たせるのは、まずは、ユーザーの言葉を受け止め、それに柔軟に反応し、答えを返す機能であろう。いずれにしても、今後は、さらに高度な機能によって、仮想現実的な人間関係を提供するロボットが出現すると考えられる。その上、そうしたロボットが人間らしい外見や動きを再現すれば、それによって提供される仮想現実的な人間関係は、ますます現実的なものとなる。こうしたロボットについては、テレビゲームやインターネットの場合と同じロジックで、子供の社会的発達に対する悪影響論が可能になってくる。 逆に言えば、仮想現実的な人間関係を与えないロボットについては、テレビゲームやインターネットと同様の悪影響論は成立しないことになる。テレビゲームやインターネットの悪影響論では、ユーザーが現実の人間関係に向かわなくなるのは、テレビゲームやインターネットがユーザーから他人と相互作用する機会を奪うと同時に、仮想的な人間関係を提供するので、それでユーザーの人間関係に対する欲求を満たしてしまうからであると考えられているように見える。それゆえ、仮想現実的な人間関係を与えないロボットは、ユーザーの人間関係欲求を充足させないので、ユーザーは、結局、現実の人間関係に向うと考えられる。そうした意味では、現在のAIBOには、会話をする機能がないので、テレビゲームやインターネットの場合と同様の悪影響論は、少なくともそのままでは成立しないように見える。 対話型ロボットが仮想現実的な人間関係を与える場合、悪影響論がより可能であるので、それについてとくに考える必要がある。テレビゲームやインターネットの研究知見は、その参考になるものと言える。 3.1 悪影響論の真偽 これまでの記述から分かるように、テレビゲームとインターネットでは、子供に与える一般的な影響は異なっていると思われる。テレビゲームでは悪影響が認められないが、インターネットでは悪影響の可能性があるようである。この違いは何によるかについて、次のことが1つ考えられる。 テレビゲームとインターネットは、どちらも仮想現実的な人間関係を与える点で共通している。しかし、両者の違いは、ユーザーの付き合う相手にある。テレビゲームの場合は、相手は架空の登場人物である。最近のテレビゲームでは、こうした登場人物は緻密にプログラムされており、高度に現実的で、ユーザーの働きかけに対し、かなり多様かつ柔軟に反応する。しかし、もちろん、それでも限界はあり、会話は十分に自由ではないし、また、ユーザーはそれが作り物であることをよく知っている。これに対し、インターネットの場合は、ネットワークの媒介によって現実的な生々しさが失われているとはいえ、相手は現実の人間であり、ユーザーもそのことを知っている。また、当然ながら、会話も十分に多様で柔軟である。これは、テレビゲームとインターネットを比較すると、テレビゲームよりも、インターネットのほうが、より現実的な人間関係が得られ、また、現実の他人と相互作用していることを自覚できるということである。 インターネットのユーザーは、それが希薄な人間関係であっても、より現実的な人間関係を楽しみ、また、他人と相互作用したことを自覚できるので、人間関係を持ちたい、あるいは、持たなければならないという気持ちを充足させやすい。その結果、現実の人間関係に向かわず、社会的不適応に陥るのかもしれない。一方、テレビゲームのユーザーは、そうした楽しみや自覚を十分に持てないので、結局、現実の人間関係に向うことになるのかもしれない。 このように考えてくると、対話型ロボットが子供の社会的発達を阻害するかどうかを考えるとき、それが現実的な人間関係を提供するか、また、現実の他人と相互作用していることを自覚させるかどうかどいう点が重要であるように見える。 まず、自覚の問題についてであるが、ロボットは、決して人間ではない。それゆえ、ユーザーは、現実の他人と相互作用していることは自覚できない。このことは、子供が対話型ロボットで遊んだとしても、他人と人間関係を持たなければならないという気持ちは解消されず、現実の人間関係に向かうであろうことを予測させる。これは、テレビゲームと同様である。 現実的な人間関係の問題については、それは、それぞれの対話型ロボットが何を提供するかにかかっているであろう。より現実的な人間関係を提供すれば、インターネットと同様に、子供の人間関係の欲求を満たし、社会的不適応を招くと考えられる。一方、仮想現実的な人間関係を提供していても、その現実性が低ければ、テレビゲームと同様に、社会的不適応は招かないと考えられる。ただし、テレビゲームもインターネットも、テレビ受像機を用いているので、ユーザーが接触する登場人物やアバターは平面的であり、その点で現実性は低くなっていると言える。これに対し、この点では、対話型ロボットの現実性は高くなりやすく、それゆえ、悪影響も強くなりやすいという可能性もあるように見える。 なお、もともと仮想現実的な人間関係を提供しないロボットについては、悪影響論は成立しにくいことを先に述べたが、これは、提供する人間関係が現実的でないほど、悪影響の可能性は低くなるという、ここでの議論の延長線上にあるものとも捉えられる。 以上のように、対話型ロボットの悪影響については、現実の他人と相互作用している自覚が得られないという点からは、その可能性は低そうに見えるが、一方、ユーザーが接触する相手が立体的で現実的であるという点からは、それはありそうにも見える。いずれにしても、より現実的な人間関係を提供するロボットほど、強い悪影響を及ぼすのではないかとは考えられる。対話型ロボットの悪影響の強さは、それぞれが何を提供するかによって異なるであろう。 念のために付言するが、ここまでの対話型ロボットについての議論は、テレビゲームやインターネットに関する研究知見を参考にした推測であり、確たる根拠による主張ではない。今後、実証研究によって、これらの推測が事実かどうかを決定していく作業が重要であることは言うまでもないであろう。 3.2 心理臨床での利用 すでに述べたように、テレビゲームやインターネットは、ふつうの子供が通常の仕方で利用している限りは、子供の社会的発達にポジティブな影響を与えることは少なそうである。しかし、一方で、もともと不適応的な子供については、その社会的発達にポジティブな効果を与える可能性がある。テレビゲームではすでに、そうした効果を期待して、臨床現場でそれが広く利用されている。また、インターネットでも、そうした実践利用の可能性を示す研究が見られている。対話型ロボットは、テレビゲームやインターネットと共通する部分を持つものである。それは、テレビゲームのように人間関係のクッションとしても用いることができそうであるし、インターネットのように社会的不適応者の心理劇を可能にするものでもありそうである。それゆえ、対話型ロボットの場合も、一定の利用方法によって、同様の効果を持つ場合があるのではないかと考えられる。このように、それは、もともと不適応的な子供にとっては、その社会的適応を助ける潜在力を持っていると期待される。 4.来るべきロボット悪影響論に対して 4.1 悪影響論の出現可能性 対話型ロボットに対する悪影響論は、現在のところ、まだあまり見られていないように見える。しかし、これは、今後、悪影響論が出されないことを保証しない。次の2つの状況が生まれたとき、悪影響論が出現してくる可能性がある。 第1に、対話型ロボットがある程度は普及した状況である。使用者が少ない状況では、それが個人には強い影響力を持つものであるとしても、社会全体に対する影響力は小さいことになり、その結果、悪影響論は生じにくいと考えられる。現在の対話型ロボットの状況も、まだその普及が進んでいるとは言えないので、この段階にあると見られる。しかし、AIBOやファービーの商業的成功を見る限り、対話型ロボットに対するニーズは高く、将来、それは広く普及する可能性がある。そのときには、社会全体に対する影響力が強く見積もられ、それは悪影響論を発生させるかもしれない。 第2に、悪影響がありそうに見えるロボットが開発され、販売される状況である。先述したように、筆者は、現実的な人間関係を提供するロボットほど、子供の社会的発達に悪影響を与えるであろうと推測している。しかし、これは筆者だけでなく、そうしたロボットを前にすれば、その根拠はさまざまであろうが、同様に考える人は出てくるであろう。現在の対話型ロボットが悪影響を与えるほどの高い現実性を有しているかどうかは分からない。それは研究しなければならないことである。しかし、いずれにしても、今後、そうしたロボットが登場すれば、それが本当に悪影響を与えるかどうかにかかわらず、それを心配する人が登場し、悪影響論が生じてくる可能性がある。 また、現在の対話型ロボットにはそうした要素がないので、本論文では議論しなかったが、将来的には、子供の暴力性を喚起する惧れがあるロボットが出現するかもしれない。子供に暴力をふるわせ、そのことによって、子供に快感を与えるようなロボットが出現すれば、暴力性に関する悪影響論は必ず生じてくるであろう。実際に、テレビゲームについては、この問題の悪影響論は非常に盛んである[11]。対話型ロボットは、テレビゲーム以上に、現実的な刺激を提供しうるので、その使い方によっては、子供の暴力性を高める潜在力を持っていることは間違いない。 今後、子供に悪影響を与えうるロボットが登場してくる可能性は高いと考えられる。第1に、ロボット開発の技術はますます発展し続けると考えられるからである。これによって、より現実的なロボットを提供することが可能になるであろう。第2に、対話型ロボットの市場が大幅に拡大すると考えられるからである。市場が拡大すれば、多くの業者が参入してくる。その結果、競争が激化し、倫理よりも商業的な論理が優先され、より刺激的なロボットが販売されるようになるであろう。 こうした状況の変化に伴って、対話型ロボットに対する悪影響論はいずれ出てくると考えられる。それは、何か「事件」をきっかけとして、その事件の原因が本当にロボットにあるかどうかにかかわらず、激しく吹き出してくるであろう。これは、テレビゲームやインターネットが辿った道でもある。 4.2 悪影響論への対処 一旦、悪影響論が出されると、テレビゲーム業界が丁度そうであるように、ロボット業界に対しても強い不信感が向けられことになるであろう。そして、その不信感は、悪影響が心配されるロボットの開発を押し止めるだけでなく、そうした心配のないロボットや、さらには、それを有効利用しようとするロボットの開発や研究さえも阻害する可能性がある。例えば、先述したように、対話型ロボットには、心理臨床における有効利用の可能性がある。他にも、教育や福祉の分野でも有効利用できるであろう。しかし、対話型ロボットに対して不信感がある状況では、たとえそれが有効利用を目標にした開発や研究であっても、それに対する支援が阻害される可能性がある。これが悪影響論の恐ろしさである。 それゆえ、ロボット業界にとっては、こうした悪影響論の発生を防いだり、また、それらの影響を軽減することが重要ではないかと考えられる。そのために、できることは何であろうか。2つあると考えられる。 第1に、対話型ロボットの悪影響についての研究をできるだけ進めることである。例えば、(1)ロボットは本当に悪影響を及ぼすのか、(2)どのようなロボットが悪影響を及ぼすのか、また、どのようなロボットであれば、そうした心配は必要ないのか、(3)悪影響を及ぼすロボットがあるとしても、それにどのように対処すれば悪影響を抑えられるのか、などを研究することである。そうした研究の知見に従って、開発を進めておけば、それだけ事件は生じにくくなるし、また、悪影響論が巻き起こったとしても、こうした研究にきちんと取り組んでいるところが見えれば、不信感はそう強くはならないであろう。 第2に、対話型ロボットを有効利用する開発や研究を進めることである。先述したように、対話型ロボットには、心理臨床、教育、福祉などの分野で有効利用の可能性があると考えられる。その有効性を高める研究や、実際にそうしたロボットを開発し生産することは、対話型ロボットやロボット業界に対する不信感を軽減するものになるであろう。 対話型ロボットは、優れた先端的テクノロジーであり、強い力を持っている。それゆえ、われわれの生活を大いに改善しうるものであると同時に、悪影響を及ぼす潜在力も持っている。これは、優れたテクノロジーのすべてが直面してきた問題である。皮肉なことに、優れたテクノロジーであればあるほど、その開発をそのまま進めてはならないのである。人間や社会の問題を考える必要がどうしても生じてくるのである。 5.要約 本論文は、最近、ヒット商品となり、注目を集めている対話型ロボットが子供の社会的発達を阻害するかどうかという問題を、ロボットと同様に仮想現実を提供するテレビゲームやインターネットの研究知見を参考にしながら、論じたものである。対話型ロボットが現実的な人間関係を提供する場合、そうした悪影響の可能性が考えられるが、それは研究によって確認しなければならないことが指摘された。将来、対話型ロボットに対する悪影響論が出現してくる可能性があり、それに対処するために、悪影響論に関する研究や、対話型ロボットを有効利用する開発や研究が望まれることが主張された。 6.引用文献 [1] 坂元 章: "テレビゲームをめぐる社会現象", 児童心理, 53, 1, 112-120, 1999. [2] C. Stoll: "Silicon snake oil: Second thoughts on the information highway," London, Pan Books, 1996.(クリフォード・ストール, 倉骨彰訳, "インターネットはからっぽの洞窟", 東京, 草思社, 1997) [3] 石元 洋子: "おもちゃの社会心理学(1)", 児童心理, 38, 502-518, 1984. [4] B. Sutton-Smith: "Toys as culture", New York, Gardner Press, 1986. [5] A. Sakamoto: "Video game use and the development of sociocognitive abilities in children: Three surveys of elementary school students", Journal of Applied Social Psychology, 24, 1, 21-42, 1994. [6] 坂元 章: "テレビゲームは社会的不適応を招くか", 児童心理, 53, 3, 111-118, 1999. [7] 香山 リカ: "テレビゲームと癒し −今ここに生きる子供−", 東京, 岩波書店, 1996. [8] S. Turkle: "Constructions and reconstructions of self in virtual reality: Playing in the MUDs", in S. Kiesler (Ed.), "Culture of the Internet", 143-155, Mahwah, NJ: Lawrence Erlbaum Associates, 1997. [9] Kraut, R., Patterson, M., Lundmark, V., Kiesler, S., Mukopadhyay, T., & Scherlis, W.: "Internet paradox: A social technology that reduces social involvement and psychological well-being?", American Psychologist, 53, 1017-1031, 1998. [10] 坂元 章: "マルチメディアによる心の教育", 放送教育, 53, 11, 32-35, 1999. [11] 坂元 章: "テレビゲームは暴力性を高めるか", 児童心理, 53, 2, 105-112, 1999. |
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