この連載では、3回にわたり、テレビゲーム遊びが子どもの発達に悪影響を及ぼすとする「テレビゲーム悪影響論」について、それが具体的にどのようなものであるか、その根拠はどれくらいあるか、それに対してどのように考えることができるか、などを論じている。
第1回の論稿では、テレビゲーム遊びが、どのような社会現象を巻き起こしてきたかを紹介し、近年ではますます、子どもがテレビゲーム遊びに熱中していること、それに伴って、テレビゲーム悪影響論が更に強まり、定説化、常識化していることを述べた。
第2回の論稿では、テレビゲーム悪影響論の中でとくに注目されている、暴力性の問題を取り上げ、テレビゲーム遊びが本当に子どもの暴力性を高めると言えるかどうかを、実証研究の知見などを紹介しながら論じた。
そして今回は、暴力性とともに、テレビゲーム遊びの悪影響が強く懸念されている、社会的不適応の側面を取り上げ、テレビゲーム遊びがこれに対して本当に悪影響を及ぼすと考えられるかどうかを論じる。また、今回は、この連載の最終回であるので、最後に、全体の内容をまとめ、更に、テレビゲームの規制の問題について触れる。
なぜテレビゲーム遊びが社会的不適応を招くと考えられるのか?
テレビゲーム遊びに熱中する子どもは、社会的不適応に陥いるのではないか、例えば、他人の性格や能力を的確に捉えられない、他人の考えや気持ちを正しく理解できない、他人とうまく付き合えない、人前に出て行けずに引きこもる、などの状態に陥ってしまのではないかという懸念は、ジャーナリズムなどでしばしば見られてきたものである。
例えば、1993年1月30日号の週刊現代には、「子供の心と体を蝕む『テレビゲーム症候群』」というタイトルの記事があり、ある病院の院長が次のようにコメントしている。
「テレビゲームに熱中する子供に、自閉症になる例が多いんです。あるいは、自閉症とまではいかないが、大学に入る年ごろになっても、他人とのコミュニケーションがうまくとれないため、一層テレビゲームにのめりこむというケースもある。」「テレビを見るときも同じなんですけど、一人だけでビデオ機器の画面を見ていると、他人とのコミュニケーションの持ち方が発達しないんです。」
また、同年の2月14日号の週刊読売では、「テレビゲームはこんなに怖い!! −あなたの子供は大丈夫か−」という記事があり、高名な心理学者による次のようなコメントが紹介されている。
「私は心理学的側面から、テレビゲームには否定的な印象を持っています。部屋に閉じ込もって画面に向かっていると、どういう思考回路になるか。キーボードというのは、押すか、押さないかのデジタル思考。ところが、我々の社会では多面的な思考が必要とされる。いい例が恋愛です。どうすれば相手と仲良くなれるか、どうすれば説得できるか、相手への配慮も大切で、様々なアプローチを考えなければ恋愛は成就しません。子供の頃からデジタル思考に慣れると、人付き合いが苦手になり、やがて、億劫になって、極めて平面的な人間ができあがります。」
こうした懸念は、他にも多く見られてきたが、それらに共通する、悪影響のロジックは以下のようなものである。「人間は、一定の社会的技能や知識によって、他人との間で円滑で適応的な人間関係を築いている。そして、こうした技能や知識は、人間が成長する過程の中で、他人と相互作用し、そこで直面していく複雑で困難な問題を解決していく中で学習されていく。しかし、テレビゲーム遊びをする子供は、現実の他人とは付き合わずに、より単純で思い通りにしやすいテレビゲームの登場人物と付き合う。そのため、こうした子どもは、複雑で困難な問題に直面せず、社会的技能や知識を身につける機会を失ってしまう。また、テレビゲーム遊びをする子どもは、登場人物と接することに慣れてしまい、より複雑で煩わしい現実の他人と付き合おうとする意欲さえも持たなくなると考えられる。」
このように、社会的不適応に関する悪影響論は、暴力性などの他の悪影響論と同様に、もっともらしいロジックを持つものである。また、そうであるからこそ、これがたびたび注目されてきたと言える。しかし、ロジックがもっともらしいからと言って、それだけで、悪影響論が正しいとは言えない。実証がどこまで行われているかが問題である。
本当にテレビゲーム遊びは社会的不適応を招くのか?
私は実は、5年ほど前、テレビゲーム遊びが社会的不適応を招くかどうかという問題について、従来の実証研究を展望したことがある(1)。結論は、実証研究の知見を吟味する限り、テレビゲーム遊びが社会的不適応を招くという根拠はなく、そうした悪影響論が正しいとは考えにくい、というものであった。当時まで、社会的不適応に関する悪影響論を扱った研究として、10個程度の調査研究が行われていた。これらのほとんどは、子どものテレビゲーム遊びの量と、社会的不適応の度合いを調べ、その相関関係を検討した調査研究であった。もし、テレビゲーム遊びが社会的不適応を招くのであれば、テレビゲームでよく遊んでいる子どもほど、社会的不適応の度合いが強いという相関関係があるはずということである。しかし、研究結果を調べてみると、実際には、そうした相関関係の存在を示した研究は2つに過ぎず、一方、いかなる相関関係も検出しなかった研究が4つあり、更には、悪影響論とは全く逆の相関関係を検出した研究さえも2つあった。このように、悪影響論に一致する相関関係はあまり検出されず、これだけでも、悪影響論は、実証的な根拠に乏しいものであると見なしえた。
また、相関関係は、因果関係を意味しない。例えば、2つの研究が、悪影響論に一致する相関関係を検出していたが、その「テレビゲームで遊ぶ子どもほど、社会的不適応の度合いが強い」という相関関係は、「子どもがテレビゲームで遊ぶことによって、社会的不適応の度合いが強まる」という、悪影響論に一致した因果関係によるものか、それとも、「もともと社会的不適応の度合いが強い子どもが、テレビゲームで遊ぶようになる」という、悪影響論とは逆方向の因果関係によるものかは、明らかではない。後者の因果関係が正しいのであれば、2つの研究が検出していた相関関係は、悪影響論を支持するものではないということになる。実際に、パネル研究という調査手法(同じ対象者に対して複数回の測定を行う調査研究。因果関係がある程度は推定できる)によって、この因果関係を検討した研究があり、2研究が検出した相関関係は、悪影響論に一致した因果関係によるものではなく、逆方向の因果関係によると考えられることが明らかにされていた。
このように、それまでの研究知見は、悪影響論に一致した相関関係を示すことは少なく、しかも、その相関関係は、それとは逆の因果関係によると見られるものであった。もし、パネル研究が行われておらず、その相関関係がどのような因果関係によるものか特定されていなければ、悪影響論が妥当であるという可能性は否定されなかったが、パネル研究の知見によって、その相関関係は、悪影響論の因果関係によるものではないことが明らかになっており、したがって、それまでの研究知見は、悪影響論が妥当であるという可能性さえも示していないものと考えられた。それゆえ、悪影響論の実証的な根拠はなく、それが正しいとは考えにくい、これが、5年前の私の結論であった。当時から5年が経過したが、その間、その結論の変更を強いるような、新しい研究知見は見られていない。いくつかの調査研究が報告されたが、そこでも、悪影響論に一致する相関関係はあまり検出されていない。更に、悪影響論を支持する因果関係となると、それは全く見出されていない。
それゆえ、私は現在でも、当時の結論を変更する必要はなく、社会的不適応に関する悪影響論は、実証的な根拠のないものであり、テレビゲーム遊びと社会的不適応に関連があるとしても、それは、「もともと社会的不適応の度合いの強い子どもが、テレビゲームで遊ぶようになる」という悪影響論とは逆の因果関係であると考えている。これが、社会的不適応に関する悪影響論についての私の結論である。
本連載では、これまで3回にわたって、テレビゲーム悪影響論について議論してきた。最後に、これらの内容をまとめるとともに、テレビゲームの規制について触れ、本連載を終結させることにする。
最後に
これまで述べてきたように、現在のところ、テレビゲーム悪影響論は、定説化、常識化しており、業界、司法、行政においても、それを前提とした議論が見られている。しかし、これまでの実証研究の知見を吟味する限り、暴力性については、悪影響が存在しているという可能性は否定されないが、それが実証されているとは言えない。また、社会的不適応については、悪影響はありそうにないと言える。いずれにしても、テレビゲーム遊びの悪影響は実証されておらず、これらに関するテレビゲーム悪影響論は、実証研究の実状に比べて、かなり先行したものになっている。
テレビゲームの規制をどう考えるか このように、実証されていないにもかかわらず、テレビゲーム悪影響論は広く浸透しており、テレビゲームの製造・販売に対して規制を求める声は強い。実際に、第1回の論稿で述べたように、テレビゲームソフトの業界団体であるCESAは、1997年7月にすでに、過激な内容のソフトの販売を自主規制する方針を打ち出しているし、また、1998月4月には、埼玉県がCESAに自主規制を申し入れている。また、個々の学校や家庭で、子どものテレビゲーム遊びを制限している場合は少なくないであろう。学術的な立場から言えば、こうした規制には根拠が不十分であり、必ずしも賛成できないということになるかもしれない。しかし、実証的根拠がないから、規制には反対であるとすると、実証されるまでは全く規制してはならないことになる。実証には長い時間がかかるものであり、それを待つうちに、取り返しのつかない事態が生じてしまうかもしれない。それゆえ、規制しておけば無難であるという考え方から、社会の選択の1つとして規制を考えることもできるであろう。いずれにしても、今後の実証研究が非常に重要である。テレビゲームの規制の問題は、悪 影響に関する実証研究を通して初めて、確かな議論ができるものである。しかし、現在のところ、テレビゲーム悪影響論の研究は驚くほど少なく、多くのことが明らかになっていない。今後、実証研究が盛んに行われ、より実態に合った判断ができるようになることが望まれる。
実証研究は、テレビゲームを単に規制すべきかどうかという議論に貢献しうるだけでなく、どのような内容のテレビゲームをとくに規制すべきかどうかという議論に貢献しうる。この点は、とくに重要である。これまで述べてきたように、テレビゲーム遊びには、悪影響が懸念されているが、その一方で、教育あるいは心理臨床などで有効に利用できるのではないかという期待も持たれている。テレビゲーム遊びを、単純に悪玉と考えて、それを規制してしまうと、そうした有効利用の可能性までも殺してしまうことになる。現在では、テレビゲームであれば、どれも悪玉であるかのような議論が見られることがあるが、実証研究によって、悪影響を持つものと持たないものを区別できるようになれば、こうした議論は避けられ、テレビゲーム遊びの有効利用の道が更に開けてくることになるのである。
引用文献
(1)坂元 章 「テレビゲーム遊びは子どもの社会的不適応を招くか?」『季刊・子ども学』1993年9月号、福武書店