サブリミナル効果

坂元章

お茶の水女子大学 大学院人間文化研究科

タイトルをご覧になって、正気かと思った読者もいるのではないかと思う。サブリミナル効果とはいかにも偽科学的であり、真面目に考えているのかと、ご立腹の読者もいるかもしれない。

しかし、私は真面目なつもりである。教育においてサブリミナル効果を有効利用する可能性を模索したらどうか、少なくとも、それを研究することには意味があるのではないかと私は考えている。

 

サブリミナル効果とは何か?

1995年5月、TBSのオウム真理教関連番組の中で、サブリミナル効果を狙った手法が使われたことを記憶している読者も多いであろう。この番組では、教団代表の麻原彰光被告の顔などのカットが、無関係な場面で挿入されていた。挿入時間は一瞬であり、カットは、気をつけていない限りは、ほとんど気がつかないものであった。TBSは、こうした「サブリミナル手法」を、番組のテーマを際立たせるための1つの映像表現として用いたと述べているが、いずれにしても、この行為は厳しく非難されることになり、郵政省はTBSに対して「厳重注意」の行政指導を行い、TBSのほうも「視聴者が感知できない映像の使用はアンフェアであった」と謝罪している。

この事件のように、サブリミナル効果はしばしば、世間の注目を集めてきた。現在ではもはや、サブリミナル効果が何であるかは常識であるかもしれない。しかし、念のため、それについて説明をしておこう。

サブリミナル効果とは、意識されないレベルで呈示された刺激の知覚によって生体に何らかの影響があることである。例えば、ある映像刺激が20ミリ秒以上の長さで呈示されたときには、それを知覚したことが意識できるのに対し、それ以下では意識できないとしよう。この場合、もし、刺激が20ミリ秒以下で呈示されれば、それをサブリミナル刺激と呼び、それに対する知覚がサブリミナル知覚である。サブリミナル効果とは、サブリミナル知覚の効果のことである。なお、サブリミナル知覚とは逆に、意識されるレベルで呈示された刺激の知覚は、スプラリミナル知覚と呼ばれる。

サブリミナル効果の例を挙げよう。かつて、知覚心理学の領域では、錯視図形を用いて、サブリミナル効果を実証する実験がしばしば行われた。

典型的なものとして、ミューラー・リアーの錯視図形を使った実験がある。この錯視図形は、図1の(a)にあるように、本当は同じ長さである2つの線分が、矢羽をつけることによって、長さが異なって見えるというものである。実際に、(b)にあるように、2本の線分(イとロ)はもともと、同じ長さである。それに、(c)にある矢羽をつけると、(a)のようになる。(a)と(b)を比較すると、イとロの長さは変化しておらず、(a)においても、イとロは同じ長さであることが分かる。しかし、(a)だけを見ると、イのほうがロよりも、どうしても長く見える。

この図形を利用して、次のような実験が行われてきた。図2にあるように、A、B、Cの3点をスプラリミナル呈示し、点線にあるような矢羽をサブリミナル呈示する。矢羽はサブリミナル呈示されているので、被験者には3点しか見えない。その状態で、ABとBCの線分が等しくなるように、被験者にC点を移動させた。その結果、被験者は、線分ABよりも、線分BCが大きくなるところにまでC点を動かした。これは、見えていないはずの矢羽が影響を与えていることを示している。この結果は、サブリミナル効果の存在を示すものである。

 

サブリミナル効果は存在するか?

この錯視図形の実験もその1つであるが、サブリミナル効果は、学術的な世界で真面目に研究されてきたものであり、きちんとした方法を用いた科学的な実験が数多く行われている。研究の歴史は古く、19世紀の半ばから実証研究が始まり、今日に至っている。当初は、知覚心理学の領域だけで研究されていたが、現在では、広告研究、感情研究、社会心理学、臨床心理学などの幅広い領域で、さまざまな関心から研究が進んでいる。現在でも、サブリミナル効果の実像は十分に解明されたとは言えないが、サブリミナル効果に関する研究知見は蓄積しつつある。

冒頭に挙げたように、世間では、サブリミナル効果を偽科学的なものとして見なす場合があるが、それは、決して正しくはない。サブリミナル効果は、それがあるかないかと問われれば、これまでの実証研究の知見によって、確実に「ある」と言えるものである。ただし、条件によって、サブリミナル効果が認められる場合と、そうでない場合があり、どのような条件でサブリミナル効果が強くなるかは単純ではなく、現在のところ、十分に明らかにされていない問題である。

サブリミナル効果の研究は、結局のところ、それがあるかないかという問題に主眼があり、サブリミナル効果が強くなるのは、どのような場合であるかという問題については、あまり研究されていない。サブリミナル刺激の性質、サブリミナル呈示の仕方、知覚者の性質など、いろいろな要因がサブリミナル効果の強さに影響する可能性があるが、それらに関する組織的な研究は非常に乏しい。

それでも、大まかに言えば、以下のような要素は、サブリミナル効果の強さに関連していると見られる。

第1に、サブリミナル効果を検出した研究は、主として実験室実験であり、現場実験では、それはあまり検出されていない。これまでに、現実のテレビ放送でサブリミナル映像を流し、その効果を調べる現場実験がときとして行われたが、そこでは、サブリミナル効果は検出されていない。実験室実験では、被験者はテレビ画面に集中し、それを常に注目するようにされるが、現実場面のテレビ視聴者は、そのように集中しているとは限らない。テレビ画面をしっかり見ていなければ、サブリミナル映像の効果は必然的に弱くなるであろう。

第2に、サブリミナル効果は、認知・感情面に関しては多くの研究によって検出されているが、行動面での効果を示した研究は少ない。それゆえ、サブリミナル刺激は、物や人の見え方や、それに対する好悪あるいは評価などの認知・感情面には影響するが、実際の行動に対する影響は少ないと考えられる。これは、例えば、ある商品をサブリミナル広告で宣伝した場合、その広告は、その商品がよい商品であるとか、それが好きであると思わせることはできるが、実際にその商品を買わせることはできない、ということである。

これらのことは、サブリミナル効果について最も心配された問題―-商品や政治家のサブリミナル広告によって、消費者や有権者が意識しないまま、特定の商品を買ったり、特定の政治家に投票してしまうこと―-は、心配する必要が比較的少ないことを意味している。サブリミナル効果を、現実場面で、しかも行動にまで及ぼすことは難しいのである。しかし、これは逆に言えば、視聴者がテレビ画面に集中する状況で、しかも、認知・感情面に影響を与えれば十分と言うのであれば、サブリミナル効果の生起はそれなりに期待できるということになる。

 

サブリミナル効果の教育利用

教育場面では、この条件に合致する場合がある。こうした場合には、サブリミナル効果の利用可能性が生まれてくる。

例えば、北フロリダ大学のワラース氏たちは、1991年に興味深い研究を発表している。彼らは、新しいテキストエディターを作成し、そこに、これまでのエディターには全く見られなかった工夫を施した。

新しいエディターを使うとき、われわれはどうしても、コマンドなどの利用法を調べるために、ヘルプ画面を開いて、それを参照することになる。ヘルプ画面を開くことによってテキスト処理のほうは中断されるので、ヘルプ画面を開くことはテキスト処理にとっては障害になる。できるだけヘルプ画面を開かないで済むほうが、テキスト処理にとっては効率的である。

そこで、彼らは、彼らの作成したエディターで、ヘルプ画面を断続的にサブリミナル呈示した。もし、このことによって、ユーザーがヘルプ画面の内容を知らず知らずのうちに吸収できるのであれば、ユーザーは、わざわざヘルプ画面を開いて、それを参照しなくてもよいことになる。しかも、ヘルプ画面はサブリミナル呈示されているので、テキスト処理の邪魔になることはない。こうして、ユーザーはエディターの利用をより早く学習できることになる。

こうしたアイディアは、非常に興味深いものであるが、彼らが48名の大学生を対象として行った評価実験は、このエディターの有効性を明確には示せなかった。彼らは、被験者がこのエディターを使った場合(ヘルプ画面条件)と、サブリミナル呈示する画面を無意味な内容にした場合(無意味画面条件)、サブリミナル呈示をしない場合(画面なし条件)を比較して、どの条件で、テキスト処理中にヘルプ画面を開くことが少ないかを調べた。その結果、被験者は、ヘルプ画面条件、無意味画面条件の被験者よりも、確かにヘルプ画面を開くことは少なく、サブリミナル効果が存在していることは裏づけられたが、ヘルプ画面条件と画面なし条件を比較した場合にははっきりした違いがあるとは言えず、彼らのエディターが、通常のエディターよりも、効果的であるという結果は得られなかった。

このように、彼らの結果は明確でなかったが、しかし、これだけを以って、こうした試みに意味がないとは言えない。先述のように、どのような条件でサブリミナル効果が強まるかについては研究が進んでいない。ワラース氏たちは、こうした研究知見のサポートを得ることなく、サブリミナル刺激を手探りで作成しているのであり、もっと効果的なサブリミナル刺激を使っていれば、彼らのエディターに、より明確な効果があったかもしれない。

ユーザーが彼らのエディターでテキスト処理をしているとき、ユーザーは画面に集中している。また、ここでは、ヘルプ画面の内容の学習という認知面でのサブリミナル効果が想定されている。先述したように、これは、サブリミナル効果の生起が期待できる状況であり、彼らのエディターにはまだ可能性がある(少なくとも、それを否定するのはまだ早い)ように見える。

このエディターの場合だけでなく、サブリミナル効果の生起が期待できる状況は、教育場面ではしばしばあると思われる。それゆえ、サブリミナル効果の教育利用の研究はもっと行われてよいのではないかと私は考えている。現時点では、こうした研究は非常に少ない。また、そうした応用研究のために、サブリミナル効果の基礎研究がもっと盛んになり、その生起に影響する要因がより明確に特定されることが望まれる。

ただし、サブリミナル効果を実践的に利用しようとしたとき、いくつか注意すべきことがある。例えば、サブリミナル刺激は、それが自分の望まないものであったとしても、それを提供されていることは分からない。それゆえ、サブリミナル刺激によって教育を提供しようとする場合、その提供者は、学習者から、そのことについて同意を得る必要があるし、何を呈示しているかを学習者が確認できる手立ても同時に提供する必要があるであろう。また、このことによって、サブリミナル効果の教育利用を検討する研究では、サブリミナル刺激が提供されていることを学習者が事前に知っている場合でも、サブリミナル効果があるかどうかを検討する必要があるということになろう。

誰もが、努力しないで楽に学習できることを夢見てきた。サブリミナル効果は、こうした夢の技術であるかもしれないし、そうでないかもしれない。いずれにしても、可能性がある限り、それを研究することは無意味ではないであろう。最も無意味なのは、夢でしかないと思って、最初から研究をしないことである。

 


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