マルチメディアによる心の教育
Education of sociality and morality by multimedia
坂元 章
お茶の水女子大学 大学院人間文化研究科 助教授
最近では、従来からの「学力」の教育に加え、社会性や道徳性などの「心」の教育の必要性が叫ばれていることは、今さら言うまでもない。あいつぐ暴力犯罪や、不登校、いじめ、ドラック濫用などに見られるように、子どもの心の問題が深刻であることは、くり返し指摘されてきたところである。今後も、どのように子どもの心の問題に対処するか、どのように心の教育を行なっていくかについて、われわれは十分に議論し、研究していくべきであるし、実際に、そうなっていくであろう。心の問題は、21世紀の教育における重要課題の1つであるはずである。
子どもの心の問題というとき、必ずヤリダマに挙がるのがメディアである。テレビゲームやインターネットなどをはじめとするマルチメディアはとくに風当たりが強い。こうしたマルチメディアが実際に悪影響を及ぼしているのかは、それはそれで研究する意味のある問題である。しかし、もっと生産的であるのは、それが悪影響を及ぼしているかどうかを気にすることではなく、どうすれば、その悪影響を避けながら、マルチメディアの持つ有効性を最大化できるかという視点である。
マルチメディアは、新しいテクノロジーであり、これによって、今まで不可能であったことが多くできるようになったはずである。それゆえ、使い方さえ適切であれば、マルチメディアの利用によって、以前よりは効果的な教育が−心の教育についてさえも−可能になっているはずである。マルチメディアが不向きな教育課題があるとしても、それについては、従来通りの方法を使えばよいのであり、このテクノロジー自体は、教育方法の選択肢を広げており、益の大きなものである。それゆえ、マルチメディアが子どもの心の問題を引き起こす元凶であり、そのすべてをダメとするような議論は、そうした有効利用の可能性までも殺すものであり、生産的ではない。くり返しになるが、大事なのは、マルチメディアは悪影響を及ぼすとして最初からそれを否定的に考えるのではなく、どうすれば、それを十分に有効利用できるかを考えることである。
私の研究室では最近、マルチメディアを心の教育に利用する可能性を模索するために、MUDに関する研究プロジェクトを進めている。これはまだ、始めて間もないものであり、未成熟なものであるが、そうした試みの1つとして、ここで紹介したい。
MUDとは何か?
MUD(Multi User Dungeon)というものをご存じであろうか。コンピュータ・ネットの中に擬似的な生活空間が設けられており、何人ものユーザーのそれぞれがネットを通じてそこに入り込む。そして、その空間の中で、擬似生活(収入をかせぐとか、ショッピングをするとか)をしながら、互いに出会い、コミュニケーションを行なうのである。チャットに似ているが、ユーザーがその生活空間を共有しているところが、チャットとは決定的に異なるところである。
ユーザーは、MUDの中では、アバターという仮想人物として行動する。ユーザーは、現実世界の自分を隠して、別人格のアバターとして行動することができる。例えば、男性が女性になることもできるし、実際にそうしたことは頻繁に見られる。
アバターは、コミュニティを作っており、そこでは驚くほど現実的なでき事が見られる。例えば、あるコミュニティでは、自分たちの町において銃を規制するかどうか真剣に話し合ったと言う。もちろん、銃があったとしても、現実的な意味では誰も死ぬことはないのに、である。また、アバター間の恋愛は珍しくなく、結婚さえも日常茶飯事である。現実世界では既婚者でありつつ、MUDの中で更に結婚する人は大勢いる。
日本では、富士通が提供しているHabitatU(ユーザーは単に「ハビ」と呼んでいる)がもっとも規模の大きいMUDである。数万人の登録ユーザーがおり、それは更に増え続けているという。ハビには、擬似都市空間が作られており、建物、広場、道などがある。アバターはこれらの中を自由に動くことができ、それらの場所で他のアバターと出会って話を始める。また、都市の中には、商店、銀行、マンションなどがあり、擬似都市生活ができるようになっている。ユーザーには、自分のアバターと、アバターがいる場所の情景が常に映像として見えている。もちろん、その場所に他のアバターがいれば、そのアバターも一緒に見えることになる。
MUDにハマル人は少なくない。実際に、私の研究室では、MUDの研究をするので、まずは体験してみようということになり、数名の学生が試みにMUDを使った。すると、彼女らは、それにのめり込んでいき、あれよあれよという間に長時間MUDに没頭するようになった。そしてついには、MUDのために研究室に何日も泊り込むようになった(彼女らは、研究室からしかMUDに入れなかった)。最初のうちは私も、研究のためと思い、それを黙認していたが、限度をあまりに越え、学業に支障を来たすことが心配されたのとと、防犯上の理由から、学生たちからMUDを取り上げざるを得なくなった。
このようにミイラ取りがミイラになるくらい、MUDには人を惹きつけるものがあるようである。以前から、こうしたMUD中毒の悪影響を心配する声は大きい。MUDの中での希薄な人間関係に慣れてしまうことによって、現実世界における、もっとストレスフルな人間関係に対応できず、社会性のない人間になってしまうのではないかという懸念は根強いものがある。最近ではアメリカで、それを実証する大規模なデータも発表され、注目を浴びている。
しかし、私たちは、こうした懸念とは逆に、これを社会性の教育に役立てる可能性はないかと考えた。
教育ツールとしてのMUD
MUDによって現実世界での人間関係に適応しにくくなる人がいるかもしれないが、しかし、もともと現実の人間関係に適応していない人にとっては、MUDは、希薄なものとはいえ、それでも人間関係を保つことができる貴重な場である。ここでの人間関係を通して社会性を高め、やがては、現実の人間関係にも適応できるようにするということは不可能であろうか、と私たちは考えた。少なくとも、いきなり現実世界の中で社会性を訓練するよりも無理がなく、より可能性があるのではないか、とも考えた。
また、私たちは、MUDでは匿名性が保証されており、現実の自分自身について相手に知られる心配がないことにも注目した。MUDでは、男性が女性として行動していても、相手には分からない。このことは、心理劇と絡んで意味を持ってくる。心理劇とは、伝統的な心理療法の1つであり、自分とは別の人格や役割を持った人物の演技をさせることによって、心的問題を解決しようとするものである。例えば、現実の人間関係に適応していない内向的でシャイな人を、外向的にふるまわせることによって、社会的にうまく活動する自信やコツなどを得させ、社会性を高めることができるかもしれない。しかし、内向的でシャイな人にとって、人前で演技をすることは耐えがたいことであり、心理劇にはその点に難しさがあるように思われる。MUDでなら、匿名性があるので、恥ずかしさを感じることは少なく、それらの人にとっても、効果が期待できるかもしれない。
これらの観点から、私たちは次のような実験を行なった。まず、多数のお茶の水女子大学の学生を対象に調査を実施して、とくに内向的でシャイな人39名を見つけ出した。その39名の被験者を、ランダムに2つのグループに分け、片方のグループには1人ずつ、ハビに30分ほど取り組ませた。このとき、「社交的な人物としてふるまうように」と教示した。もう一方のグループは対照グループであり、ハビに取り組む代わりに、時間つぶしに30分間、あたりさわりのないアニメ映画(「スノーマン」あるいは「くまのプーさん」)を視聴させた。どちらのグループも、メディア接触によってどのような生理的変化が起こるかを調べる研究に協力していると信じさせられた。
この後、被験者は、別の研究に協力してほしいと頼まれ、そのために待合室で少し待ってほしいと言われた。そこで待合室に行くと、知らない人物が座っており、被験者はその人物と2人きりにされた。2人きりになったところで、被験者が、その人物に話しかけたか、長く話したか、頻繁にアイコンタクトをとったか、近いところに座ったか、などを観察し、被験者が現実場面において外向的に行動するかどうかを調べたのである。もちろん、その知らない人物は、サクラ(実験協力者)である。被験者は、先に取り組んだメディアの研究と、待合室でのでき事に関連があるとは全く気がついていなかった。
もし、ハビに取り組んだ実験グループのほうが、対照グループよりも、外向的に行動したのであれば、ハビで社交的にふるまうことによって、現実場面での外向性が高まると言えることになる。実際にデータを分析すると、結果はその通りであった。実験グループのほうが、対照グループよりも、よく話しかけ、長く話し、アイコンタクトを多くとっており、外向的に行動していた。また、サクラや、その場面をビデオで見た評価者も、実験グループのほうが、対照グループよりも、外向的であるという印象を持っていた。
このように、本実験の結果は、内向的でシャイな人がハビで社交的ににふるまうことによって、現実場面でも外向的に行動できるようになることを示している。これは、そうした人が、ハビで人間関係を保つ中で、社会性を高めており、更に、そこで社交的にふるまったことによって、現実場面で外向的に行動する自信やコツなどを得たことによるのかもしれない。いずれにしても、この実験結果は、内向的でシャイな人が社会性を獲得するために、MUDの利用が有効であるという可能性を示唆している。
もちろん、MUDが実践的に有効であるとはっきり結論するためには、この結果だけでは不十分である。本実験の結果が安定したものかどうかが確認されなければならないし、何よりも、MUDによる効果が長期的に持続し、人格の変化をもたらしうるかを明らかにしなければならない。そのためには、被験者を長時間MUD
に取り組ませるような研究が必要である。更に、どのような条件のときに、MUDの効果が強まるかを探求することは非常に重要である。
私は、MUDに限らず、マルチメディアには、使い方が適切であれば、心の教育ツールとして有効利用できる可能性があるのではないかと考えている。重要なのは、そうした可能性を追求することであり、それを最初から忌避しているのでは何も生まれない。21世紀には、この問題について多くの研究が行われ、成果が上がることを期待している。
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