講演の要旨  

・鳥居修晃先生

 先天性・生後早期の視覚障害(角膜混濁ないし先天性の白内障による)が長期に及 ぶ場合には、 開眼手術を受けても「立方体と球」の弁別(Molyneux 問題)はもとより、2次元の形 も、ときには 色を見分けることさえもできない。低視力のほか、眼球運動、視野についても阻碍状 態を呈するこ とが少なくない。このような障害状況下にある先天盲開眼者たちとの長期にわたる共 同作業を通じ て、大略次のようなことが明らかになった。

  (1) 晴眼者において普遍的に成立している「視覚世界」の実現を図るには、色、 2次元の形態、 立体などの弁別・識別活動を順を追って習得することが不可欠の前提となる。
  (2) 上記(1)の習得過程の進展に伴って、
  (2a) 「複合線図形」、「重なり図 形」「主観的 輪郭図形」「透視図的線画」、「きめの密度勾配ないし陰影の勾配を含む画像」 などに対する 知覚様式の変換が徐々に起こる。
  (2b) 他方、「明るさ」、「色」、「大きさ」、「形」などの 知覚恒常性が徐々に形成されていく。
  (3) 手術後の初期には、主に触覚を通してしか認知できなかった日常物品などの事 物についても、上記(1)の習得過程の進展と相俟って、提示された対象からその属性の一つ である「色」を 抽出する活動がまず発現し、次いで各対象の「形態特性」に関わる諸属性の抽出 が可能となる 段階を経て、視覚による個物の特定活動が漸次確立されるに至る。
       

・伊福部達先生

 感覚や言語などの情報機能が失われたり衰えたりすると,認知に関する脳機能その ものが変わってくる場合が多い。しかし,今までの視聴覚障害支援の研究では脳機能 がどのように変わったかも調べないで機器開発に従事してきた向きがある。コンピュ ータの入力デバイスが壊れたから,他の装置で代替するというような簡単なものでは ないことを,まず,しっかりと意識して基礎研究に取り組む必要がある。とくに,認 知科学研究は視・聴覚障害支援において極めて重要な立場を占める。
 だからといって,知覚・認知機構の真理の追究だけに終始していては時間が途方も なくかかってしまう。目的や予想される結果を明確にして基礎研究に臨み,短期間で 仮説を導き出さなければならない。基礎研究から得られた仮説を基にして機器開発に 進み,適用してあまり効果がなければ基礎へ戻るという試行錯誤の繰り返しが必要に なる。その繰り返しの中で,仮説の妥当性を少しずつ実証し,真理に近づけるという のが,視聴覚障害支援における認知科学研究の方法である。
 我々の基礎研究の一例を挙げると,「九官鳥」の物まね声あるいは超腹話術師「い っこく堂」の音声の謎解き研究から,音声の自然性に関して仮説を立て,抑揚の出せ る人工喉頭の開発を通じて,その仮説を実証するという方法を採っている。
 ヒトの知覚・認知機構の解明には,気の遠くなるような時間と緻密な研究が必要に なるが,福祉機器開発という切り口で仮説を立てて、それを実証するという研究アプ ローチはこれからの知覚・認知科学研究の一つの生き方になると考えている。 

・小田浩一先生

 視覚障害には大きく分けて視覚をまるで使えない全盲と残存視覚が 利用可能なロービジョンがある。歴史的・社会制度的にいって全盲 の人間に対するサービスは比較的良く浸透した一方、ロービジョン
への理解やサービスは遅れている。医学の進歩や人口の高齢化にと もない、ロービジョン人口は増加していると考えられているし、人 口比で考えるとロービジョンは全盲よりずっと多数派であるにも関 わらずである。視覚障害に起因する二大障害は、読み書きと移動と 言われているが、ここでは、ロービジョンに起因する読みの障害に ついて考える。読み書きはすぐれて認知的な課題であるが、ロービ ジョンの場合は、視覚の感覚入力部分に生じた刺激の劣化に よって起こる。その劣化のタイプと程度により誰でもその読み行動 の成績は低下する。ロービジョンの原因になっている疾患のタイプ や、その結果残された視覚機能と読書行動との間には密接な関係が あることが分かってきた。現在これを克服する手段は、もっぱら光 学的あるいは電子的拡大やコントラストの強調であるが、個々の ロービジョンの状態に応じたエイドのフィッティングについては、 かなり未整備の状態であると言える。最後に、ロービジョンの読み 書きに関する社会的な環境改革(バリアフリー化)の可能性につい て述べる。

 

・吉野眞理子先生

 神経心理学におけるカテゴリー特異性障害には,大きくカテゴリー特異性認識障害と カテゴリー特異性命名障害とがあり,障害されるカテゴリーとしては,生物,道具, 身体 部位,数字,固有名詞,動詞,色,顔,街並,文字などが知られている.これらのカ テゴ リー特異性障害が特定の脳領域の病変によって生ずるという報告が積み重なるにつれ, 脳内情報処理のメカニズムと関連づけて論じられることが多くなっている.日本語使 用者 においてはもうひとつ,漢字と仮名という2種の文字種を使用することから,これらが 乖離して障害される場合,文字種特異性障害と捉えることもできる.筆者は以前,漢 字に 特異的な失読失書を呈する症例にカテゴリー別呼称・認知検査を施行したところ,ど れも 生物カテゴリー特異性障害を呈することを見出した.どちらも視覚性入力から音韻表 出を 求める課題であり,両者に共通のメカニズムが存在するのではないかと考えて,さま ざまな 課題を施行し,その分析を通じてこの問題を考察した.その結果,漢字も生物も,他 のカテ ゴリーに比して,相対的に細かい形態処理を要し,同カテゴリー内の形態的に類似し た他の ものからの干渉を受けやすいことが共通した特徴であり,形態認知を担う腹側経路に 沿った 病変がその基盤にあることが推察された.今回のシンポジウムでは,これら症例に基 づいた 検討結果を報告する.

 

・加藤元一郎先生

 臨床上の記憶障害の諸様態を正確に理解し、これに対応してゆくためには、認知心 理学的ないしは認知科学的な視点が重要である。
 エピソード記憶の障害である健忘症は、海馬を含む側頭葉損傷、視床、前脳基底部 の損傷で生じる。中心の症状は、前向性健忘(学習障害)であるが、しばしばエピソ ード記憶の歪曲ないしは虚記憶の想起と考えることのできる作話(confabulation) や記憶錯誤(paramnesia)が伴う。この症状は、興味深いことに、前脳基底部健忘で よく認められ、両側海馬損傷では少ない。この障害は、記憶の検索における戦略プロ セスの異常により引き起こされ、前頭前野の機能障害の関与が重要と考えられる。
 カテゴリー特異的意味記憶障害とは、ある特定の部位の脳損傷により語や物の意味 がカテゴリーごとに別々に失われるという不思議な症状である。例えば、あるケース では、野菜と果物というカテゴリーに属するもののみの意味が失われ、道具や乗物や 家具に属するものの意味は健常に保たれるという症状が出現する。この症状に理解に は、語や物の意味が脳内でどのように組織化されているかという認知科学的な知識が 不可欠である。この症状を説明する様々な認知科学的仮説について、症例を呈示しな がら考察してみたい。